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ooumeのゆくところ

行ったところ、やったことを記録しておくためのブログです

Et in terra pax hominibus

歴オタ話

2017年2月7日、摂津は大阪城ホールにてユスト高山右近列福式が執り行われたそうで。
ドイツ*1の専門報道機関に抜かれてから約2年…以上だったかな、記憶にないほど、ここまでできるまで長かったですね。
おめでとうございます。

…あまりめでたくないんですけどね。わたしとしては。
荒木村重*2を語るにあたり、高山は重要な人間の一人です。
荒木の人生中最大の謎、有岡城の戦い。
この籠城戦線において高山は親子ともキーマンです。*3
信仰(を共にする人人)を守るか、利(いま自らの持つ権力)を守るか。
前者を選んだのが子であるユストで、後者を選んだのが親であるダリオ。ということに文献*4ではなっています。
この戦あたりからユスト高山はキリスト教徒としての頭角をあらわすというか、"キリシタン大名"というものとは一線を画す存在になっていく*5んですが、
彼は、教徒と農耕とたまに戦争だけやっている民草ではなかったわけで。
高山は教徒である以前に大企業の社長であって*6社員を守り会社を発展させる義務があった。
にもかかわらず、彼は業務を、社員を捨てたんですよね。信仰…信念を貫くために。
似たような話は教典のなかにもありますけど。
わっかんないんだよな。わたしには。
だってさ。社員かわいそうじゃないですか。
凄惨さの度合いは違うとはいえ、社長を急に失った会社がどうなっちゃうかの事例を眼前に…当事者としてみていたのに。村重の行動は、有岡城の顛末は悪いことだとは思わなかったのだろうか。
それとも、信念があれば、無…死は希望なのだろうか。
まあ、それはそうでしたね。
希望に向かわせてあげたのかもしれませんよね。乱世乱世

右近研究者というか右近についての本を書いている人は多けれど、たとえば作者は神父さんであったり、信者さんであったり。
そんな方々の書籍では信仰に関連しないこと、教義にもとることはスルーされがち。
高槻城政変。有岡城の戦い。右近の最大の試練だったよ!」
おわり。
ええ~

わたしは名家の跡継ぎ社長としての高山右近丞を知りたいオタクなので、社長さんがどんな趣味を持って趣味人脈があったまではまだいいのですが、信仰を持ち出されてせやから社長やめたわあ言われてもええーっとなります。御家はどうなっちゃうの…
だから、その信仰心のみをもてはやされると、そうかなあ…ともやもやしてしまう。
キリスト教徒になれば、このもやもやは解消するんでしょうか。
ミサを歌って、教典を読もうとするも挫折し、手早く教会の扉を叩いて、でもだめだったんだよな。
地に平和を。
良き心がけの人々には平和を。
心のない人には、平和はないのでしょうか?
わっかんないんだよなあ。

*1:なぜかドイツ

*2:推し

*3:詳細はwikiなり小説なりドラマなりを見てくれ

*4:byルイス

*5:ような気がしてならない

*6:信仰は言わずもがな経営の役に立つものでしょうが