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ooumeのゆくところ

行ったところ、やったことを記録しておくためのブログです

熊本城おもてなし武将隊を好きになったきっかけと細川の話と推し

武将隊 歴オタ話

昨日の旅備忘録で熊本城おもてなし武将隊の話をしたら熱い感情が胸に溢れてきたので武将隊をテーマにした記事にしたかったのですが結局推し*1の話になりました。

長い。

 

まず武将隊とは何かという話をしなければならない。

各地方に存在する、武将で結成された隊なんですけど…*2

「武将」と言われると、この現代日本に住んでいる方であればまあそれなりに複数人の名前を思い浮かべることができるとはおもうのですが、そういう人物をモチーフにした、ミッキーマウス的なもの。暴論ですね、すみません。でもそういうことです。

その場所を示すためのアイコンであったり。賑やかしのための存在であったり。

ミッキーは喋らんけど武将は喋るから観光PRだってできてしまう。たまにSHOWも行う。

会いに行けるアイドルならぬ会いに行けるご当地歴史人物グループ。それが、武将隊。

 

Dヲタをしていた自分、そして現歴オタな自分が、そんなコンセプトの団体さんを嫌いなはずがなく。

ある隊の結成をきっかけにこの世界に飛び込んでしまったんですね。

忘れもしない。2013年夏。安芸ひろしま武将隊が結成…お披露目されたのだ。

hiroshima-samurai.jp

わたしは安芸・周防あたりから歴オタとしての道を歩み出していたので、純粋に嬉しかったのを覚えています。

生粋の広島っ子・友人Aがしばらく現場通いをしてくれていたので、毎週の様子を聞きつつ、武将隊を目的にした遠征へも自ら行きつつ。

 

こうして安芸ひろ*3の結成を祝っていた時。

既に、全国各地に武将をコンセプトに結成した団体があるということは知っていました。

というより、そんな団体のうちひとつ、熊本城おもてなし武将隊、その城下に住んでいる友人Bがいたので直にクオリティの高さを前々から吹き込まれていたのです。

いや、まあ、それは安芸からの肥後熊本にも行くよね。武将隊を目的にして。

遠征というハードルを一つ超えたオタクは二つ三つと容易に超えるぞ。

友人Bに熊本城天守閣前まで連れて行ってもらった日は2013年の秋の日。

わたしは感動しました。すごくて。

熊本城への数年越しの再訪も感慨深さを増す要因だった、けれどそれ以上に、期待していた値を、武将隊目的だぜーという邪な…値踏みするような心根を武将様方が軽々と抜き去っていった。

プロフェッショナルでした。衝撃がすごかった。

その時わたしは彼らを推そうと思ったのだ。 

kumamoto-bushoutai.com

 

2013年11月、池袋で開催された旅フェア日本2013。

安芸ひろを応援しに行ったついで、せっかく入場料を払って行ったわけだから、と全国のブースも回覧。

当然熊本ブースのPR企画へも記念参加。このとき武将隊は来ていませんでしたが、ここではじめて出会ったのが熊本城のゆるキャラひごまる」。

ひごまるね、すごいんですよ。飛ぶの。ターンするし。飛ぶのよ。

しかもお顔も仕草もかわいいときた。インパクトが強かったです。

このひごまるが武将隊とのつながりを深くするのはここから少し後の話。

 

まあ、そこからしばらく、わたしは各武将隊の現場には赴けず…

といっても、2014年はやたら永青文庫さんにお世話になった年で、春季展MOMOYAMAでの初訪問後、秋季展国宝刀、間に推し調べを交えているうち「もしかして細川氏は推しを知るうえで避けて通れない…やだ…*4」と、なんだかんだでずるずると熊本につながる知識をストックしている状態が続きました。というか細川に格段に詳しくなってしまったのが2014年だった。

そしてこの国宝刀の展示期間中、2014年10月。

熊本城おもてなし武将隊のコンセプトがリニューアル。

リーダー清正公with家臣、みたいなかんじでアットホームな雰囲気だった隊に

知名度*5の新風が吹き込み、細川忠興様が隊に参入なさったわけです。

うわ…来ちゃった…ってなりました。ええ。

それはねえいらっしゃって然るべき、なんですけど。だって熊本だよ細川だよ。だけどさあ!って

ちなみにわたし歴オタとして忠興のことは、好きか嫌いかで分類すれば…うん、嫌いではないので好き、です。

で。なんだかんだで彼は現世での推しになりました。推し増しってやつ。やったあ。

推しという単語がややこしくなってきたので整理しますと、

3.5次元*6の「推し」=日本史人物の荒木村重(※最推し=基本の「推し」用法はこっち)

3次元の「推し」=熊本城おもてなし武将隊細川忠興

です。脚注がはかどる。

もうそこからはあれよあれよと友の会には入るわ自らの熊本遠征の回数は増すわそれだけでなくあちらが江戸までいらっしゃるときには出来る限り援軍に赴くわ人物観の大転換を起こすわ*7某神社にはガチ寄進するわであれわたし何オタだっけ?荒木オタから細川オタ化してない?くらいまで思考が溶けた。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ…。

ちがうんです待って聞いてなんか荒木の子孫<こ、まご>が細川に拾われてどうこうが御家記にあってまあ家記だしと高をくくっていたのに*8荒木孫とおぼしき人物が残念いやありがたいことに某大の史料つまり独立紙として残ってるのかな?そんな文書内にいたのででは荒木孫が細川に仕えていたというか取り次げるくらいに当主筋に関連していたことは否定ができなくなったなということと荒木孫に言及してくれている忠利にくっ荒木を使ってくれてありがとう…っていう気持ちになってしまうという完全にこう世間渡りの達人たちの術中に嵌っている感というかまあとにかく肥後熊本細川氏の初代藩主と2代目藩主には感謝しているんですよ。ありがとうね荒木を。

 

字数の嵩む細川の話はこれくらいにして、

熊本城おもてなし武将隊の話に戻ると、

彼らを歴オタ観点、つまり荒木村重摂津国を一時治めていたという状況をふまえて個々人を見てみると、興味深い人物が揃っているわけです。

 

庄林隼人様は荒木に仕えていた設定で武将紹介されているし、

そもそも黒田官兵衛様なんてねえ…(知らない人は2014年NHK大河ドラマをみよう!)

一部の歴史小説では加藤清正公の初陣=有岡城攻めという設定で*9書かれているし、

森本儀太夫様の姓・森本。これ伊丹の地名として現在も残っている地名でして(まあ摂津も広いし「もり」の「もと」なんていっぱいあるでしょう。あくまで可能性のハナシ。*10

島津義弘公はたぶん荒木村重と同い年で、

小西行長様は官職名がオソロ。イエイ。(というか直でdisった話がある。荒木が小西をdisって最終的に荒木が怒られた話)

細川忠興様は有岡城籠城戦後の処刑執行役人だったというし、

10人中7人、間接的or直接的に推しにかかわっている可能性が否めないわけです。

半数くらい可能性レベルの話なところが涙ちょちょぎれるね。オタクって哀しい生き物なんだよ。

 

ということで、感動してうち震える大好きと、すごく面倒くさい歴オタとしての興味と、の

ものすごいバランスで好きな熊本城おもてなし武将隊さん。

 

そんな彼らが三月第一週の金~土日に熊本で主催イベントを行いますので、

このブログを見て気になった方はチェケラ!

kumamoto-bushoutai.com

 

いや…おそらくこの記事では気にならんような…

でもぜひ一度は武将隊文化には触れてみていただきたい。

あなたの地元にもいるかもしれない武将隊。

もっと地元に、歴史に愛着が湧いちゃうかも。

*1:荒木村重

*2:説明の放棄ではないです

*3:安芸ひろしま武将隊の略称=公式愛称

*4:史料が多くて拾いきれないから

*5:大名

*6:時をかけている意

*7:嫌いな人物を客観的に見られるくらいまでになった(好きになったとは言ってない)

*8:でも裴松之注みたいな家記なんだよなあ…へえそうなんだろうなってなるような家記でして(史料を引用しそれにツッコミとか語り入れるタイプの記録)

*9:なぜか

*10:伊丹の森本についてはそのうち考察記事を書くよ